平成2年ごろ、母が83歳の時に車いす生活となり、私は毎日実家に通って
いました。
母はお寺と同じ子安町に住んでいましたので、私が車いすを押して御総講に
来ていました。
その当時、今現在と同じ本堂でしたが、新清流会館は建設途中でエレベー
ターがなく、1階から本堂へは母に
「私の肩にしっかりつかまっていてね。」
と言って、抱きかかえ、1段ずつ階段を上がっていました。男性がいらっしゃれ
ば手伝ってくださり、御講師がおんぶしてくださったこともありました。
やがて清流会館が建立され、エレベーターがつき、車いすで本堂まで行くこ
とが出来る様になりました。
ある日、エレベーターの前で日堯上人と一緒になったときに
「Sさん(母)に乗っていただいて良かったよ!」
と優しく声をかけていただきました。
声をかけていただいたので、母はその日1日ニコニコ機嫌がよく喜んでいました。
そろそろ母の17回忌を迎えますが、今でもエレベーターに乗るとその時のこと
を思い出します。
母は30代の時に夫が戦死し、入信し3人の子供を育て、ご信心にすがりなが
ら生きてきました。私はその母からの信心です。
母が晩年御講席に行けなくなってから私が御講に出るようになりました。実
家に立ち寄っては(帰っては)御講席の話をし、母はそれを楽しみにしていま
した。
私が御講席に出始めたころは泉淳師(日堯上人)が担当御講師だった事もあ
り、御弘通車でお参詣の際には泉淳師が運転をしてくださることがありました。
先輩ご信者さんから私が助手席に乗るように勧められ、お話をする機会があ
りました。
学生時代の遊泳会のお話やスキーのお話。スキーでは、車を運転されていて
危うく事故になりそうなときに思わず「南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経・南
無妙法蓮華経」と唱えてしまい、友達は色んな意味でビックリ!ですが、お計
らいをいただき無事だったというお話も聞きました。
今では、そのような一つ一つの思い出も、非常にありがたく、深い深い思い
出として刻まれております。
御導師、長い間ありがとうございました。
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