当山第二世住職 日堯上人ご略歴

 

日堯上人は、昭和26年6月16日、当山初代住職日序上人と、妻・愛子奥様の末っ子としてご誕生。長女・宏子さん、次女・文江さん、三女・純子さんに次ぐ、待望の男子誕生で、幼名も古典用語で「長男」を意味する「太郎」と名づけられました。

愛情をうけすくすくと育ち、私立国立学園初等部に入学。そして学習院中等科に入学され、そのまま高校・大学へと進学。

幼い頃より運動神経抜群、特に3歳の頃より始められたスキーでメキメキ頭角を表わされ、高校時代では国体第2位に輝き、強化選手にも選ばれました。

大学では古式泳法小堀流を指導する「游泳会」に参加。在学中は勿論、卒業後にも大学からの要請を受け、毎年、沼津の御用邸において、古式泳法の指導を30年以上続けられました。

この水泳指導を施された学習院生徒の中には、現在の天皇陛下もおいでになったと聞き及んでおります。

このように学生時代は運動一筋に活動してこられましたが、大学卒業と同時に一念発起し得度を決意され、昭和49年3月、佛立第十五世御講有日晨上人を師僧と仰ぎ剃髪得度、僧名を「泉淳」といただきました。

得度後間もなく、京都の佛立専門学校へ入学、本山での2ヵ年にわたる行学二道を終え卒業。本格的な御奉公の道へと進まれます。

この京都学生時代の間に、生涯の伴侶となる由里子奥様と出会われ、
昭和51年5月にご結婚。一男一女をもうけ、子息は現在の清流寺住職である清泊師になります。

卒業後の御奉公は一気に多忙を極めますが、昭和51年の佛立青年教務会本部役員を皮切りに、弘通局主事、企画室室員、開導百遠諱特別局記念事業部長等を歴任。宗門隆昌発展の一翼を担われます。

昭和62年10月に清流寺副住職にご就任。平成3年には上座講師へと叙任され、平成10年2月10日には、日序上人より相伝を受け、第二世清流寺御住職にご就任。この住職交代を見届けられた初代住職日序上人は、4ヵ月後の6月24日にご遷化なさいました。この年の10月10日権僧正へとご昇晋、5年後の平成15年には僧正へと晋まれます。

またこの間、現・佛立教育専門学校の要請を受け、助手の御奉公を経て平成8年より同校教諭として赴任。平成15年には教頭として宗門教学興隆の一端を担われます。

立教開宗七五〇年特別局記念事業部長歴任後、平成14年からは佛立開講一五〇年奉賛局局長へとご就任。続けて平成19年初めより、後に「生涯の思い出」と語られる、本山宥清寺平成の大改修特別局長に就任。

特筆すべきは、この時、6万枚にもわたる本山の瓦屋根葺き替え工事を行なうにあたり、全国のご信者に御有志を募り、結果、予想を遥かに上回る篤志を頂戴し、無事御奉公を完遂された事にあります。

平成22年10月、門祖五五〇回御遠諱弘通局長、平成24年には、佛立教育専門学校学校長へとご就任。行学両面における最要職を御奉公為されます。

門祖五五〇回御遠諱報恩御奉公円成の後は本庁内にて弘通審議会・総合教育委員会・講有考試委員を歴任、学校においても学校長のほか、理事・教授・佛立図書室運営委員を御奉公。また佛立教務育成の為、第五支庁佛立教育団教諭を委嘱され、加えて、各支庁へご出向になり、佛立教義の核たる宗学部門の教鞭をとっておられました。

平成31年(令和元年)10月、本門佛立宗の責任役員たる本宗参議にご就任。宗門における数多の御奉公成就に向け、東奔西走の毎日を送られておりましたが、令和2年10月20日、従容として化を寂光に遷されました。

 

法寿70歳 法号 信誓院日堯上人





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